臨床情報「思春期境界性パーソナリティ障害の生育歴の特徴について」
今回は、「思春期境界性パーソナリティ障害の生育歴の特徴について」です。
私の論文から一部抜粋しております。
境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder: BPD)の有病率は約1%であり頻度の低くない疾患である。精神科外来患者の約11%,精神科入院患者の約19%にBPDの診断がついたと報告されている。BPDの症状はDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fourth Edition, Text Revision (DSM-Ⅳ-TR) では,「対人関係,自己像,感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになる」と定義されている。さらにDSM-Ⅳ-TRには,「自殺の行動,そぶり,脅し,または自傷行為の繰り返し」の項目が診断基準の中に入っており,実際の臨床でもBPDは高率に自殺を繰り返すことが多く治療に難渋する。BPDの自殺率は9-36%であり,BPDと診断されている外来患者の75%が少なくとも1回の自殺企図歴があると報告されている。そのためBPDに対する早期の適切な診断,そして自殺再企図防止を含めた治療的アプローチが非常に重要である。BPDは思春期頃に症状が顕在化してくることが多く,思春期の自殺企図患者の中にもBPDは含まれている。このような現状に鑑みると,思春期BPDの自殺再企図防止は思春期臨床の重要なテーマの1つと考えられるが,思春期BPDの自殺企図の特徴や自殺再企図防止を試みた報告は少ない。
そのため,我々は自殺企図で救命救急センターに搬送された患者の治療を通して,思春期BPDの自殺企図の特徴と自殺再企図防止の治療的アプローチについての報告を行った。思春期BPDにおける自殺企図の再企図防止のためには,合併する精神障害の治療,BPDに対する患者本人への力動的精神療法と家族(特に母親)に対するアプローチ,それに加えて認知行動療法的アプローチが不可欠であると思われた。力動的精神療法では,本人と共に生育歴を振り返る作業を通じて不適切な親子,特に母子関係を浮き彫りにした上で治療者との間で要求,交渉,そして折り合いをつける作業を行い,2者関係を築くことが出来るようにしていった。また家族へのアプローチでは,生育歴を振り返る作業を通じて,母親に次第に自殺企図の要因を現在や過去の単一のエピソードではなく,幼少期からの連続性がある問題としてとらえさせ,親子の情緒交流の再構築を通じて家族による患者への支持機能を強化し,自殺の再企図防止を行うことを治療の目標とした。さらに,認知行動療法的アプローチに関しては,筆者らはLinehanの弁証法的認知行動療法 (dialectic behavior therapy: DBT)の中の苦悩耐性スキルを改変し,希死念慮出現時の危機介入方法として認知行動療法的アプローチを行い治療効果を認めた。
このように思春期BPDの診断,自殺企図防止を含めた本人,家族への治療的アプローチをするためには生育歴の聴取が不可欠であり,正確に生育歴を聴取するためにはBPDの生育歴の特徴を知る必要があると考えた。そのため,今回筆者らは当院児童精神科を受診しているBPD患者と精神科診断がつかない健常者を対象とし,2群の生育歴を比較することでBPDの生育歴の特徴について調査を行った。
我々は当院児童精神科外来に通院しているBPD患者と精神疾患の診断がつかない健常群を対象として,BPD群とcontrol群の2群に分けて比較を行い,患者背景,生育歴(26項目)の特徴について検討した。
本研究の結果,患者背景に関しては両親の離婚はBPD群では5名(71.4%)でありcontrol群と比較して有意に高かった。しかしその他の項目では,有意差は認められず患者背景はほぼ同等であった。
次に生育歴に関しては,「25. 一次反抗期がない」と「26. 入園時の分離不安がない」の2項目はBPD群において有意に高かった。また,「6. 家族(主に母親)がいなくても平気でいる」と「7. 親の後追いをしない」の2項目に関してはBPD群では2名(28.6%)であり有意差は認められないものの高い傾向であった。
本研究の結果からBPDの生育歴上の特性を抽出することができた。ここでBPDの生育歴の特性がLinehanのDBT理論,BPDの診断,そして治療にどのように関わっているのかを考察した。
まずLinehanはDBT理論を構築するにあたって,invalidating environment (不認証環境) をひとつの要因として重視している。この特徴は,養育者がその子どもの個人的体験(信念,思考,感覚,感性)に対して一貫性のない不適切な対応をとり続けることである。こうした不認証環境の中では,子どもの個人的な経験や感情表現は妥当な反応としてみなされることはないとLinehanは述べている。このLinehanの言うところの不認証環境は母親から生育歴を聴取することであきからにすることができる。本研究の結果から,「25. 一次反抗期がない」と「26. 入園時の分離不安がない」は有意差があり,「6. 家族(主に母親)がいなくても平気でいる」と「7. 親の後追いをしない」はBPD群では高い傾向にあった。当院での先行報告では,BPD患者は小さい時から母親に甘えることができず,自分から要求することが少なく育ってきていた。すなわち,自分から何かを要求したり,泣いたり,ぐずったりすると母親は怒ったり不機嫌になった。そのため本人は母親の顔色を窺い母親が不安あるいは不機嫌にならないように先回りして行動していた。つまり,幼少期より母親の感情に合わせて自己の感情の表出を行っており,これまで患者ががまんしている間はあまり気にされず,極端な感情表出をした時だけにしか反応しない環境であり,患者にとっては情緒を抑えるか,または極端に反応するか,両極端になるように育っている背景があった。そのため,本来親の承認の下で自己の感情を表出するプロセスが獲得できておらず,したがって第3者との関係で適切に感情を表出する基盤を欠いていた。そのために現在に至って初めて自殺企図という手段を使って他者,特に母親への要求が出ていた。このような生育歴の経過があるため,本研究の結果のように「一次反抗期」や「入園時の分離不安」が乏しくなるのだと考えられる。つまり,「一次反抗期」や「入園時の分離不安」が強くでると母親により負担がかかり,母親自身の不安が強くなるために本人はがまんして要求をださないのである。「家族(主に母親)がいなくても平気でいる」と「親の後追いをしない」も同じ理由からBPD群において高い傾向にあると考えられる。また,本研究から抽出された生育歴の特徴は不認証環境が存在するために出現してきていると考えられる。つまり,臨床において母親から生育歴を確認する作業を行う中で,BPDに特徴的な生育歴を認めた場合にはそこに不認証環境が存在していた可能性を考えなくてはいけないのである。
次に,BPDの診断と治療における生育歴の重要性について考察する。BPDの生育歴の特徴となる因子を抽出することで,BPDの診断だけでなく,治療的アプローチにもつなげることができる。まず診断に関して,BPDの診断は現在の本人の状態からDSM-Ⅳ-TRやSCID-Ⅱにより操作的に診断することはできる。しかしBPDの診断には,操作的診断による横断的な診断だけではなく,生育歴を聴取することで過去から現在までにつながるBPDに特徴的な母子関係を確認することで縦断的に診断する必要があると考える。それは,横断的だけでなく,縦断的にも診断することでより正確な診断ができ,病態水準をみたて,今後の治療経過を予測することができるからである。診断,病態水準,治療経過を見立てることで,その後の治療がうまくいかなかった時に診断が間違っていたのか,生育歴の聴取がうまくいっていないのか,治療が間違っていたのかを治療を振り返ることで見つけ,そして修正することができる。そして治療に関しては,先行研究で報告したように本人,母親への力動的精神療法,認知行動療法的アプローチを行うためには思春期BPDの生育歴での本人の特徴,母子関係から始まる2者関係の特徴を明らかにする必要があり,そのためにはやはりBPDの生育歴の特徴を理解することで治療者がより意識的に治療を動かしていけると考えられる。具体的には,治療者はまず生育歴を振り返る作業の中で,意図的に本人と養育者に現在の問題は単一のエピソードではなく,幼少期からの連続性がある問題としてとらえさせることを最初の目標とする。そして認知行動療法アプローチでは,本人に対して生育歴を振り返る作業に加え,行動分析を行うことで現在の問題行動の共通点,パターンを明らかにし,現在の問題点を,過去の,母子の不適切な二者関係からの連続性があることを確認し,さらに理解させていく。このように診断,治療において生育歴を聴取することが非常に重要であり,そのためにはBPDの生育歴の特性をあらかじめ理解しておく必要がある。
最後に本研究の限界について考察する。本症例の限界として,サンプルサイズが小さいこと,BPD群のBPD以外の精神科疾患の鑑別に構造化面接行っていないこと,生育歴の聴取に関して何らかの評価スケールを使用していないこと,などが挙げられる。
5.まとめ
児童精神科外来を受診しているBPD患者と健常者を対象として生育歴の比較を行っており,BPDの生育歴を検討した最初のpilot studyである。その結果,「25. 一次反抗期がない」と「26. 入園時の分離不安がない」の2項目はBPD群において有意に高かった。また,「6. 家族(主に母親)がいなくても平気でいる」と「7. 親の後追いをしない」に関しては有意差は認められないものの高い傾向にあった。これらの生育歴の特徴は,Linehanのいう不認証環境の結果出現するものと考えられ,これらの特徴から浮き彫りになる母親と本人との2者関係の問題が,現在認められる自傷行為や自殺企図などの問題につながっているのだと考えられる。BPDの生育歴の特徴を理解することで,横断的だけでなく生育歴から現在につながる縦断的な診断を行うことができ,またその特徴から導き出される母子関係の問題を本人,特に母親に理解させることで不認証環境を変化させることができる可能性があると考えられる。このように,診断,治療の二つの側面からも治療者側がBPDの生育歴の特徴を理解しておくことは非常に重要であると考えられる。BPDに限らず生育歴を聴取することで,診察室の目の前にいる患児がいままでどうやって生きてきてのかを知り,その上でいまなぜ症状がでているのか,そして治療を行うことでこれからどうなっていくのかを予測することができるのである。今後BPDの生育歴の特徴を抽出するためにはさらなる症例の蓄積や,評価スケールの作成が必要であると考えられる。
<コメント>
生育歴は100人いれば、100通りのパターンがあるが、疾患ごとにある程度大事な部分での共通点はあると思っています。それは臨床やっていて、なんとなく肌感覚として感じることがあります。
今回はそれを少しでも客観的な数値で表したいと考えて、作成した論文です。ある程度予想していたとおりの結果になったと思っています。
記事作成:加藤晃司(医療法人永朋会)
専門:児童精神科(日本精神神経学会専門医、日本児童青年期精神医学会認定医、子どものこころ専門医)