大人のアスペルガー障害の治療について、雑感
大人のアスペルガー障害の治療について、雑感
大人になってからアスペルガー障害、や、PDDNOS(特定不能型)の方が、学生の時は指摘されなかったが、仕事するようになり、同僚や上司からコミュニケーションの苦手さ、困難さを指摘され病院を受診するケースが結構あります。
その場合、職場の方が一緒に来院される、というケースが多かったです。確かに客観的に状況を説明できる方がいた方が、情報が増え、診断材料として使えるので助かりますが、昔はあまりこういうことはなかったなと思います。
同じくらいの対人相互性の障害、コミュニケーション障害だとしても、どのような職場環境で、どのような同僚と働いているのかによって、支障がでるかどうかが変わってくる、非常に変数の多い状況です。
だから大人の場合、症状の程度というよりは、環境因子、つまり運ですよね、それに左右されることが多い。
もちろん仕事の向き不向きはあると思いますが、それは疾患特性、というよりかは、誰にでもおきうることの範疇にはいっているような気がします。
なので、大人の方の場合は、たとえASDの診断がついたとしても、その診断にフォーカスして、どうやって治療していきましょうか、という感じで少ないです。自分の特性や特徴は共有するとしても、そのうえで現在の仕事をどうとらえているか、人生における優先順位は、など、自分らしく生きていくってあなたによってどういう意味を持ちますか、という展開にしてしまいます。
つまり、同僚や上司が困っていることをなんとかして、その職場、その仕事にこだわらない、ということです。
もちろん本人の優先順位一位がそれなら、そのことを扱いますが、そうでなくてもいいよね、ということです。
他人の価値観にたまたまはまらなかっただけ、そんなのよくあることです。ASDの中にその答えがあることは、ほとんどありません。
病院にくると、診断や治療に目がいきがちですが、視野がせまくなって、いまの置かれている環境、世界が、すべてではない、ということを俯瞰してみることができなくなっていることがほとんどです。
多数派が正解というわけではない。
自分らしく生きるとは、別に多数決で決めるものではありません。
そんな当たり前のことを、考える時間にすることも、結果非常に治療的なんじゃないかと思います。
医療法人永朋会 理事長
加藤晃司
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