臨床情報「腹切りによる自殺企図の臨床的特徴について」
今回は、「腹切りによる自殺企図患者の臨床的特徴」についてです。
私の書いた論文より一部引用しています。
警察庁発表による自殺の概要資料によると,自殺者数は平成10年以降12年連続して3万人を超えている。日本の自殺率は諸外国と比較しても高く第6位であり,さらに先進国の中では自殺率が最も高く大きな社会問題となっている。
年齢別自殺者数でみると,最も多い年代は50 ~59歳(6,491名)であり,次いで60~69歳(5,958名),40~49歳(5,261名)となっており中高年の自殺が多い状態が続いている。その中高年の死因の中で,自殺は40~49歳では第2位,50~54歳では第3位と高く,特に男性では女性よりも自殺による死亡数が多い。そして,自殺の原因・動機としては,1位:健康問題,2位:経済・生活問題,3位:家庭問題となっている。
自殺は本邦においては文化の一部となっている。特に,腹切り(切腹)は日本独自の自殺企図手段の一つである。腹切りはナイフや包丁,刀などの刃物で自らの腹を切り自殺する方法である。日本における腹切りは平安時代の武士が最初に行い,鎌倉時代以降に腹切りが武士の自決として定着したと言われている。その後長きにわたり,日本において名誉ある死の形とみなされてきた。海外においても有名であり,英語圏においてはhara-kiriとしてそのまま単語に翻訳されている。日本人が身体の中でなぜ腹部を選んで切るのかについて,新渡戸は“そこに魂と愛情が宿るという昔からの解剖学的な信念に基づくものである”と考察している29)。1837年に切腹は公式に廃止されたが,腹切りは武士の時代とは形を変えながらもなお日本人へ影響を与えている。「己の名誉と贖罪のため,死をもって償う」という意味での自殺手段の一つとして腹切りはその後も行われてきた。
現在においても腹切りは自殺手段として行われており,平成21年における手段別の自殺の状況について,刃物での自殺は男性では539名(2.3%),女性では204名(2.1%)であり,男性の方が多い。警察庁の自殺統計では刃物による死亡の中で腹切りの割合は示されていない。男性では縊頚が14,842名(63.2%)で最も多く,2番目に多いのが練炭等であり2,959名(12.6%),腹切りは第5位である。女性では縊頚が4,974名(53.1%)で最も多く,次いで飛び降りが1,219名(13.0%)であり,刃物は第7位である。これまでの報告では腹切りによる自殺の特徴として,男性,既婚,統合失調症などが自殺のリスク因子であると報告されている。これまでに腹切りによる自殺企図患者の臨床的特徴の報告はほとんどなく,また構造化面接にて精神疾患の診断を行っている研究はなく本研究が最初の報告である。
我々は自殺企図で救命救急センターに入院となった患者を対象として,腹切りによる自殺企図患者の臨床的な特徴について後方視的に調査を行った。
当院救命救急センターに入院となった自殺企図患者を腹切り群とその他の群に分けて解析を行い,腹切りによる自殺企図患者の臨床的特徴について調査を行った。
本研究においては,184名の自殺企図患者の中で腹切りによる自殺企図患者は7名(3.8%)であった。自殺既遂の中で刃物による死亡の割合は男性で2.3%,女性で2.1%であり,本研究の結果から自殺企図患者においても腹切りの割合は低くないと考えられる。
本邦における自殺既遂の中で腹切りによる死亡は男性に多く,またこれまでの報告においても男性は腹切りによる自殺のリスク因子であると報告されている。本研究においては自殺企図患者の中で腹切り群は男性が6名(85.7%)であり,その他の群(28.2%)と比較すると男性の割合は有意に高かった。また,ロジスティック解析においても男性は有意に関連していた。この結果から,男性が腹切りによる自殺企図のリスク因子となる可能性が考えられる。また,精神科既往なしは腹切り群において有意に高く,ロジスティック解析でも有意に関連していた。この結果から,精神科既往なしも腹切りによる自殺企図のリスク因子である可能性がある。
既婚は腹切り群では42.9%であり,その他の群よりは高い傾向にあったが有意差は認められなかった。これまでの報告では既婚が腹切りによる自殺のリスク因子であると報告されており,今後はサンプルサイズを増やした上で有意差がでるか再検討する必要がある。
年齢に関しては,刃物での自殺は男性では60代,女性では50代が最も多く,本研究における自殺企図群においても年齢は46.9±19.8でありその他の群よりも高く,自殺既遂と同様に中高年に多かった。無職の患者は腹切り群で低い傾向にあり,また精神科既往なしは腹切り群において有意に高かった。過去の自殺企図回数に関しても腹切り群で有意に少なかった。これらのことから,腹切りによる自殺企図患者は中高年の男性で精神科既往や自殺企図歴もなく働いている人が多い。会社にも自殺企図直前まで普段どおりに働いており,家族やかかりつけ医もいないことが多いため初回の自殺企図を予測しづらく,事前に防止しにくい可能性があると思われる。
次に精神疾患の合併について,腹切り群では5名(71.4%)に気分障害を合併しており,その他の群(29.9%)と比較して有意に高い合併率であった。また,ロジスティック解析を行ったところ,気分障害が有意に関連していた。本研究の結果からは腹切り群においては気分障害の合併が自殺企図の強いリスク因子である可能性があると考えられる。つまり,自殺企図時に合併している気分障害を治療すれば,再企図防止につながる可能性がある。
本研究における身体的重症群は腹切り群で71.4%,その他の群で27.7%であり腹切り群で有意に高かった。また,ICU入院期間,全入院期間共に腹切り群において有意に長かった。当院での入院治療終了後に身体治療継続のために転院となるケースは腹切り群で有意に多かった。これらの結果から腹切りによる自殺企図は重症度が高く,また挿管による人工呼吸器管理や高圧酸素療法などの治療のためにICU入院期間や全入院期間が長くなると考えられる。また腹切りによる術後合併症が起こったり,術後のリハビリが必要なため入院が長期化したり他院へ転院し身体治療を継続するケースが多くなると考えられる。さらに,SISに関しては腹切り群で有意に高く,SISは複数の前向きコホート研究で自殺既遂の予測因子としての有用性が確認されており,腹切りによる自殺企図後の患者は今後自殺既遂のリスクが高い可能性がある。このようなことから,腹切りによる自殺企図後の患者の場合には自殺再企図防止を目的としたその後の精神科での治療が非常に重要であり,かつ慎重に行う必要がある。具体的には,上述したように腹切り群の場合には自殺企図時に気分障害の合併が多いため,精神医学的診断を適切に行い,合併する精神疾患を治療することで再企図を防止することができるかもしれない。また,再企図のリスクが高いことを認識して治療を進める必要があり,家族が協力できる場合にはそのことを説明し本人のサポートを強化していく必要がある。そして精神症状が持続する場合には精神科病院での入院治療も早い段階で考慮する必要がある。一方,サポートする家族がいない場合には精神症状が改善するまで精神科病院での入院治療を継続し,その後の外来でもソーシャルワークにつなげ,休職している場合には復職支援プログラムなどの社会資源を利用した多面的なアプローチが必要である。社会的に孤立させないようにする必要があり,医療機関だけでなく,職場の産業医,精神保健福祉センター,自助グループ,などとの連携が必要である。
また,本研究における腹切り群の自殺企図の心理・社会的要因の特徴として,その他の群と比較して職場問題が有意に多かった。腹切り群の自殺再企図防止のためには精神症状のみではなく,職場での問題の存在にも注意することが必要であると考えられる。職場問題は具体的には,会社の経営がうまくいかない,昇格してから責任が増えた,仕事で大きな失敗をした,上司や部下とうまくいかない,などの訴えであった。職場での問題の場合,会社の産業医や,職場関係者と連携をしながら本人をサポートしていく。
このように腹切りによる自殺の直接の原因は職場問題での問題,仕事での失敗,対人関係でのトラブル,出世してからの重圧,などがおおく,「家族,友人,職場の部下や上司に申し訳ない」という気持ちを持つ患者が多い。これらの理由から,現在の腹切りによる自殺には「死にたい」という漠然とした希死念慮ではなく,「自殺して名誉を守る,責任をとる」という腹切りが古来より持つ意味がふくまれていると考えられる。病前性格はデータとしては集めていないが,腹切り群の患者の病前性格はまじめで他者配慮的であり責任感が強い人が多い。そのような基質がある人が自殺の方法として腹切りを選択している可能性がある。現在の日本での腹切りはその歴史的な背景を持った上で,日本人の基質を反映した独自の自殺企図手段の一つであると考えられる。
腹切りによる自殺企図患者の自殺再企図の防止のためにはこのような特徴をふまえた上で本人のみではなく職場へのアプローチをする必要があると思われる。なお,本研究における心理・社会的問題要因の把握に関しては,何らかの客観的評価尺度を用いたわけではなく推測の域を出ない事は限界の一つである。
まとめ
救命救急センターに入院となった腹切りによる自殺企図患者の特徴について調査を行った。腹切り群は自殺企図時には気分障害の合併が多く,自殺企図の理由としては職場問題が多かった。ロジスティック解析で気分障害,男性,精神科既往なしは腹切り群において有意差を認めており,自殺企図のリスク因子であると考えられる。また,その他の群と比較すると入院時の身体的重症度は高い傾向にありICU入院期間,全入院期間は有意に長かった。このように腹切りによる自殺企図は身体的に重症となる可能性があるため慎重に自殺再企図を防止する必要がある。またSISが有意に高く,腹切りによる自殺企図患者はその後の自殺既遂のリスクが高い集団であると考えられる。このことから,腹切りによる自殺企図患者のその後の精神科治療では自殺再企図への注意が必要であり,そして合併する気分障害を治療することで自殺の再企図を防止することができるかもしれない。さらに,合併する精神障害に対する治療だけでなく,心理・社会的要因を考慮したうえで本人,職場,家族へのアプローチ,産業医や地域など多施設との連携を含めた包括的な介入が必要である。今後は腹切りによる自殺企図患者の臨床的特徴をさらに明確にし,そのうえで自殺再企図防止のための介入研究を行う必要がある。
<コメント>
私が救命救急センターリエゾンを大学病院でやっているときは、今よりも自殺企図数は多く日々その対応に忙しくしていました。神奈川県西部は3次救急病院が私の所属していた大学病院以外なかったのも一つの要因となっていました。軽症から重症まで、自殺企図例のほとんどが搬送されていました。
自殺企図手段として腹切りを行う人が頻度は多くないですが、一定数いました。腹切りは日本人独特の方法で世界的に珍しい企図手段です。日本の文化的背景が影響していることを考え、この論文は英文で発表しました。
原文は検索するとでてきますので、ご興味のある方は見てみてください。
Frequency and clinical features of patients who attempted suicide by hara-kiri in Japan
Koji Kato,M.D., Ph.D. et al
ABSTRACT: Hara-kiri is a unique Japanese custom, primarily stemming from the manners and customs that a samurai held. The aim of the present study was to investigate the clinical features of individuals who attempted suicide by hara-kiri. We enrolled 647 patients who had attempted suicide. Clinical features were compared between those who had employed hara-kiri and those who had used other methods. 25 of the 647 subjects had attempted suicide by hara-kiri. The ratio of men to women and the proportion of patients with mood disorders were significantly higher in the hara-kiri group than in the other methods group. The average length of stay in either the hospital or in the intensive care unit was also longer in the hara-kiri group than in the other methods group. Hara-kiri is an original Japanese method of attempting suicide, and suicide attempts by hara-kiri may be aimed at maintaining a reputation or taking responsibility.
記事作成:加藤晃司(医療法人永朋会)
専門:児童精神科(日本精神神経学会専門医、日本児童青年期精神医学会認定医、子どものこころ専門医)