精神科とかカウンセリングの治療以外の意味合いってなんだろう
精神科とかカウンセリングの治療以外の意味合いってなんだろう
精神科とかカウンセリングって、ある程度本気で困っている内容だと、年単位で関わることが少なからずあります。
変な話、10年とかって、全然あります。
トータルであっている時間、回数、振り返れば、大人になってからであった友達、知人、同僚、先輩、後輩、大人になってからあっている自分の親との時間、とかよりも多くの時間を過ごしているな、と思うことあります。
しかも無駄な話もすることもありますが、基本的には通常ならストレスかかるから他人とは話さないようなプレッシャーのかかった会話をずっとしているので、密度の濃さも半端ないです。ずっと本気で全力のパンチで殴り合っているみたいな、感じでしょうか。無駄な話をしないから、会うのが嫌だなとクライアントの方が思っているんじゃないかと思うほどです。
特に子どもの時からきていて、10年たって、大人になってもたまにきている方がいると、結構その人のこと知っている、というか、内容によっては家族よりパートナーよりも知っていたりするわけですから、なんかお互い変な感じだなと思うことあります。
基本的には治療者側はあまり自分のプライベートなことは話さないのが原則らしいですが、自分は聞かれたら結構答えるので、大学の教授にはよく怒られていました。余計なことを言うんじゃない、と。
ですが、いやいやたまには自分の話も小話程度に間に入れた方が、小休憩になっていいんですよ、と勝手に思っていました。
話をもどしますと、同じ場所、同じ空間、同じ人、と長年、ある程度定期的に会う、ということ自体が、通常の社会生活をしているとあまりないことだと思うんです。家族ではないので、ある場所にいって、時間を合わせて、準備して、会っていない期間にも多少意識はしていたりして、と手間なことを、長年やっている、この非日常的な時間、自体になんか意味があるんじゃないかと思っています。
普通に生活していたり、調子をくずすことがなければ、絶対に発生しないイベント、です。
その場所、空間、人に、何かをおいてくる、あずけている、感じもあるような気もしています。
もちろん治療が必要がなくなる瞬間ってほんとにわかるんで、そこで会うことが終了するわけですが、何かあればまたくればいいか、とはなると思います。
困っている内容はさまざまなので、こういうパターンでないこともあるのですが、やはりこのあたりは他の診療科とは少し違ったところだなと思います。
医療法人永朋会 理事長
加藤晃司