自己評価を上げるって、結構難しい
自己評価を上げるって、結構難しい
自己評価が低い状態で、外来を受診される方、結構多いです。
また、そのことに自分が気が付いていないという方も、また多いです。
具合がより悪い方、によくみられる現象です。
そういう方は、主訴が、「寝れない」、とか、「疲れやすい」、とか「体調が悪い」、みたいな、それだけ見ると、それほど重篤じゃなさそうな主訴のことが多いです。
逆にいえば、ある程度、分かりやすい体の症状がでなければ、病院にくることはなかっただろうなと思います。
自己評価が低下している状態、しかもそれが、幼少期より長年にわかって存在していると、その状態から自己評価をあげていくのは結構大変です。
簡単にいうと、普通にほめられただけでは、きっと自己評価は上がっていかないからです。
ほめられて、うれしくないわけではないと思いますが、基本的信頼感が他者と構築されていないので、信頼していない相手からの評価は、ほんとにそうおもっているかなと、本人は自動的にそう思うと思います。実際、相手の方は、心の底から評価してほめているのに、それが届かない状態です。
小さい時から、適切にほめられ、評価される、ということに慣れていないと、こういう状態になります。
不認証環境、といいます。
こういう方には、信用していただくのに、かなり長い時間がかかります。
おそらく、大人になってからだと、そのくらい辛抱強く、ある程度付かず離れずの距離をたもちつつ、長期間時間をともにする相手、見つけること自体がなかなか大変です。
そういう意味では、精神科医とか心理士とか、専門家でなくてもいいのですが、そういう方にたまたま出会えて、そういう関係を自然に作る練習ができるところまで、たどりつけた方は、まだ運がいいのかもしれません。
生育歴がいい、悪い、おいといて、人を信頼するのって、基準があるわけじゃないから本当に自分でも難しいなと思います。
何があったら信頼できる、ってもんでもないです。
信頼していても、実際にうらぎられることはあるわけですし。
少し話はかわりますが、
子どもは、親がいないと生きていけません。
だから、親は、子どもからは無条件で、求められますし、必要とされます。
この感覚は、究極、他人同士で発生することはないのではないかと私は思っています。
だから、親の立場は、ある種、通常では満たされない何かが満たされているはずです。それを当たり前だと思ってはいけない、と自分は思うようにしています。その感覚、自分でも感じたことがあるからです。恋人や、夫婦、親友、先輩後輩、のような関係の中で発生する感覚とは、圧倒的に何かが違います。
つまり大人になってから、他人同士で、ほんとうに信頼しあう、って、家族でもないなかで本当に成立させるのは、かなり大変なことです。
生育歴が悪くなくたって大変なのに、基本的信頼感がもともと低いと、本当に大変です。
精神科医とか、カウンセラーとの関係構築は、ある種リアルではありません。疑似的なものです。
それでも、その制限された環境の中で、もしなんらかの信頼関係、部分的だけど信頼することができる、本音を言える、とう関係が作れたら、大きな一歩となるはずです。
ほんとはそういうことが、自分が生きるリアルな環境の中で見つかるといいのですが、最近の世の中は、昔に比べるとかなり難しいんだろうなと思います。他人のために自分の何かを犠牲にしたり、捨てることができる人、昔よりは少ないのだろうなと想像はしてしまいます。
自己評価が生育歴上の問題で低くなっている人は、自信はあまりないでしょうし、他人とは迷惑かけないように距離をとるようにして生きている方が多いと思いますが、そういう人は、他人にほんとの意味でやさしくできるなと思います。大変だった生育歴としか、等価交換できないものが、あると思います。それがそういうやさしさみたいなものだったりします。
自己評価が下がっていると、自分なんか、って自然に思ってしまいますが、その裏側にはそれゆえに獲得した力のようなものがあることを、知ってほしいなと思います。
医療法人永朋会 理事長
加藤晃司
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