壁打ちみたいな感じで、精神科を使うのもありです
壁打ちみたいな感じで、精神科を使うのもありです
自問自答って結構難しいなと思います。自分だけで自分自身を深堀しようとすると、どうしても雑念も入りますし、単純に瞑想みたいな時間はあきてしまって、長続きしません。
そういう時、テニスとか、サッカーとか、野球とか、なんでもいいのですが、壁打ちの相手として、精神科の診察やカウンセリングを利用するのも悪くないのではいかと思います。
実際の診療でも、洞察力の強い方や、自我機能がある程度確立している方は、こちらがほとんどないも指示や意見、誘導をしなくても、自分自身でこちらを壁打ち相手として使いながら、その時の自分にとって必要なもの、意味のあるもの、ときにはただ腑に落ちること、みたいなところまで到達しています。しかも割とそういう方、多いなと思います。
そういう方にとっては、壁くらい動かない方がちょうどよく、下手にラリーをかえしてきたり、予測不能な返答をさらたり、アドバイスされたりする方が、周り道になってしまうのかなと思います。
それに知人、友人、先輩、後輩、先生、とかでただただ壁に徹してくれる人もなかなかいないと思いますので、以外に身近では見つからないものです。
私は仕事で壁になるのに慣れてしまっているので、プライベートでもたまに壁になっていることありますが、これは意外につかれます。やはりプライベートだと、こちらもたまには打ちたいからということなのでしょう。
自分が何をしたいのか、自分とはいったいなんなのか、何をするのが自分らしいのか、自分らしく生きるとはなんなのか、Iが主語ばかりでよくないような気もするかもしれませんが、どこまでいっても、自分から逃げることはできません。誰かと一緒にいたり、誰かの夢に相乗りしたり、誰かのために生きたり、そういうことももちろん必要ですが、自分をおいてきぼりにしては、ちょっとかわいそうですし、もったいないです。
自己中になれというわけではないのです。
なかなか言葉にすると難しいのですが、例えば家族であったとして、妻であり、母親であったとしても、個人としての自分、もいるはずです。
個としての自分は、何歳になっても、消えてなくなりはしません。
なんてことを、自分自身がたまに考えることがあります。
ですが、他者のこととして話しを聞いていると、自分のことも見えてくることがあります。
精神科という場所は、空間としても、そういう状態にするのを手伝ってくれる不思議な場所です。
医療法人永朋会 理事長
加藤晃司
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