生育歴を聴取するのに、どのくらいの時間をかけるか
生育歴を聴取するのに、どのくらいの時間をかけるか
児童精神科がらみの講演会をしていると、生育歴って子どもでも、大人でも大事ですよね、という話をするのですが、すると生育歴を聞くのにどのくらいの時間をかけますか?みたいな質問をされることがあります。
その質問には、初診の時点でというニュアンスが入っていることが多いのですが、結論から言うと、初診時には疑っている病名にとって大事な部分だけをさっときいて、確定診断にむけて、再診のたびに少しずつ聞いていく、という形にしています。
それは単純に生育歴のすべてを初診に確認するためにはそれだけの時間がとれない、という現実的な問題と、生育歴についてはなんどもなんども聞くものではないですから、その生育歴を聞くという行為自体を、効果的なタイミングで使いたい、というのがあります。
母親から生育歴を確認するのか、本人からなのか、それとも祖父母なのか、そうではない養育者なのか、いろんなパターンはあると思います。
例えば母親から生育歴を聴取するのであれば、それを子どもの前できかせるか、聞かせないか、どの程度、自分との関係ができたあとで聞くか、など、診断名、病態水準、などを踏まえ、それぞれに対して異なるタイミングで重要な生育歴を聞くようにしています。
それはそれ自体が治療的な意味を持つと思っているから、いちばんそれが刺さるタイミングで使いたい、と思っています。
もちろん場合によっては、特に病態が軽い人の場合には、初診の段階で、だー--と聞いてしまうこともあります。
生育歴が普通によさそうな神経症レベルの子であれば、本人の目の前で母親から、0歳からの生育歴を聞かせるだけで、治療も終了ということはよくあります。
子どもが生まれた時、どう思いましたか?
という質問に対し、
母親が、うれしかったです、と答えるだけで、子どももうれしいものです。
その後、3か月、6か月、1歳、1歳半、2歳、2歳半、3歳、4歳、5歳
このあたりまで、重要な生育歴上のポイントはおさえつつも、それぞれの時代での思い出なんか話してもらえば、ほんとに神経症レベルであれば、初診で治療終了です。愛されて育った、ということが分かるだけで、ちょっとした不安などは吹き飛びます。
基本的信頼感
自分が愛されている、認めれているという感覚は、養育者から与えられるものであることが多く、それはその相手と離れていても、自分の中に存在しているものです。
それを認識させることができれば、漠然とした不安、くらいならば自分の中でキープできます。
逆に基本的信頼感を獲得できていないと、不安はオートガードなしで、自分にぶつかってきますから、よけ方を後天的に習得する必要があります。
もともとの本人の素質もありますが、幼少期の段階で、自我機能というのはある程度完成するわけです。
そのため、かなり早い段階でつまずきがあると、それが若ければ若いほど、基本的には病態は悪くなることが多い、ということになります。
誰にもきがつかれず、本人もがまん強く、大人になってから本質的な問題に気がつくと、結構大変なわけです。
しかしそれに気が付かないまま生活していくのも、本人からすれば、地に足ついていない、なんだか世界にフィットしていない、感覚を持ちながら生きていくことになります。
話はそれましたが、それくらい生育歴は、診断にも、治療にも、必要ですが、初診ですべて終わらせるものではない、ということです。
医療法人永朋会 理事長
加藤晃司
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